『みにくいあひるの子』を、考える

『みにくいあひるの子を、考える』

おそらく誰もが読んだこと、読んでもらったことがあるだろう絵本。

「あひるの子」は、実は白鳥だった・・

みにくいあひるの子

生まれたときから、他の兄弟たちとは体の大きさも、体の色も違っていた。

七面鳥だと疑われた。

「みにくい」と言われた。

「みにくい」ことで、大人のあひるたちにつつかれた。

「みにくい」ことで、一人だけ誕生のお祝いをもらえなかった。

「みにくい」ことで、兄弟たちにいじめられた。

「あひるの子」は、一人旅立つことにした。

「みにくい」ことで、小鳥もカエルたちも逃げて行った。

「みにくい」ことで、野鴨に頭にザリガニを落とされた。

「みにくい」ことで、猟犬に選ばれず助かった。「あひるの子」は、複雑な気持ちだった。

農家のおばあさんが家で飼ってくれることになった。

でもまた・・

「みにくい」ことで意地悪な猫とニワトリにいじめらた。

それでまた、旅をつづけた。

ある日、「あひるの子」は湖のほとりにでた。

湖の上を美しい白鳥が飛んでいる。

「なんて美しいんだろう。ぼくもあんな鳥に生まれたかった」

雪が降り始めた。

「あひるの子」は眠ってしまい、雪と氷で動けなくなった。

空腹と寒さで気を失った。

木こりが助けてくれた。

それでもまた・・。

「あひるの子」は旅を続けた。

湖のほとりにでて、岸辺の岩のくぼみに住みついた。

昼は魚や貝を食べ、夜は枯れ葉にくるまって眠った。

何もとれないときは親切な野ネズミが食べ物をわけてくれた。

あたたかい春になった。

「あひるの子」は羽の付け根がむずむずして、思い切り羽ばたいた。

バサバサっと羽音を響かせた。

体が、

空に舞い上がった。

「空を飛んでいる!」

水に舞い降りた。

美しい白鳥たちが楽しそうに泳いでいた。

白鳥になった「あひるの子」は、

「いじめられないうちに・・・」

と、逃げ出そうとした。

白鳥たちは「あひるの子」を呼び止め、優しく迎えられた。

「あひるの子」は、水にうつった自分を見て驚いた。

立派な、白鳥になっていた。

あひると間違われたばかりに、辛くて悲しい旅が続いた「あひるの子」。

でも、もうそれも終わり。

これからは幸せな日々が続くのだ。

若い白鳥は、みんなの先頭になって大空に飛び立った。

その姿は、若く、たくましく、美しいものだった。

みにくいあひるの子は、

どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、じっと我慢して、一生懸命生きた。

そして最後に、幸せをつかんだのだ。

「みにくい」とは、なんだろう。

「みんなと違う」「一人だけ違う」「優劣」から、この「あひるの子」は散々な目に遭った。

残酷なことだ。

とても、残酷なことだ。

でもまた、「美しさ」についても思う。

この「あひるの子」は、孤独という淋しさ、悲しさ、苦しさ、恐怖を味わった。

そのために「またいじめられる」という思いが刷り込まれ、「逃げる」「隠れる」という癖も身についてしまった。

「自分はいられないんだ」と思って生きる、

「そうやってずっと生きなければならない」という思いで生きるのは、どれほど苦しいことだろう。

「あひるの子」は、「痛み」を知った。

思い知った。

たくさんたくさん知った。

この「あひるの子」は、

「白鳥」とわかったことで、

「白鳥」とわかっただけで、

救われたのだろうか。

「自分でいいんだ」

「自分のままで生きられるんだ」

とわかったことに、

きっと救われたのだと思う。

「美しい」と言われる白鳥が「光」ではなく、

「白鳥として、自分のままで、生きられる」ことが「光」ならば、

この「あひるの子」は、「影」も知っている。

光と影、

両者を知り、両者をもったこの「あひるの子」は、

痛みを知っているものだからこそもてる優しさという、美しさをもった「尊い白鳥」になったはずだ。

「魅力」とは、そういうものだと思った。

mikke!

みつける・とらえる・つながる  誰も特別じゃない。誰もが特別な存在。 誰もが表現者であり、誰もが自由に自分を創造できる。 空の下 誰もが みな輝く主人公。 みなが主人公として「好き」をする自分に還り、心地よく、自分の意志で自由に楽しく生きられる優しさだけの世界に。 We are in the Circus World! ノベルセラピー、表現アートセラピー、 ソウルナビゲーション、イメージワーク