父の旅立ちと、いま、生きる。
いま。
思いのまま書いてみる。
父がこの世を旅立ち、追われるがままに過ごしてきた。
大好きな父だった。
昨年から、
リスクの高い手術を越え、入退院・転院を繰り返し、
次から次に出てくる主治医の先生を悩ます症状と闘い、1年弱。
難病を患っている母と、
自分にできることをしてきたつもりだけど。
あまりに早い別れは、
看取りや通夜、葬儀、父の旅立ちを実感する場面はあったはずだけど。
なんだかよくわからないでいる。
仕事、家のことと父・母のサポートに奮闘した日々も、父の旅立ちで生活もまた変わった。
母のそばで過ごし、
何より支えなければいけないと、
母の悲しみや空虚感、無理なく吐き出せる寄り添いをしてあげたいと、
また一つ、決断に一人悩んでいる。
息ができなくなるほど泣いた息子も、
今朝また手術を受け、怪我の回復と、この子に起きている、起こることになる変化を大事にみてやりたいと、
明るく笑っていられる空気でいたいと思う。
いろいろなことがあり、
私のうちっかわで何かが変わっている。
でも、
よくわからない。
わからない。
リセット
というような、
無
な感じだ。
ただ、全く心地悪くない。
でも、
父との別れは。
毎日父の位牌と遺骨を前にてをあわせる。
大好きな笑顔の遺影を見る。
なぜ、ここにあるのか。
わからない、
わからないまま、
毎日お経を詠む。
わかっている。
わからない。
わかっている。
わからない。
どこか受け取られていないのは、
父と、あることをしていないからかもしれない。
日々は過ぎるし、
仕事はあるし、
母と息子の、生活も、心も支えたいし、
進む方向に進まなければならない。
進んでいくしかないし、
それでいい。
流れのままに、
進む。
生き方や、
はたらき方や、
自分の生かし方に、
持っていた価値観は変化していきそうだ。
目を瞑り、
問い、
待ち、
自問自答を繰り返す。
やらなければならないことに感情が追いつかない。
理性でどうにか保ち、
会社に行く。
はたらく。
人と話す。
役割をする。
根っこの気持ちは、
追いつかない。
姉が見つけた父の日記を、
姉も、兄も、私も皆、
涙を堪えては泣きながら読んだ。
日記を読めば読むほどに、
私は父と似ていると思った。
観点や言葉や書き方や思考が。
私や息子のこともたくさん書かれていた。
私の知らない出来事を見守ってくれていた。
いつも病室を出るときに言っていた
「また明日ね」
毎日言いたかった。
言葉にならない父の振り絞る声は今も聞こえる。
父自身のことを思うと、
旅立つ直前まで、
退院を願って、
リハビリを頑張ろうとしていた、
父自身のことを思うと、
押しつぶされそうになる。
息子が治療とリハビリに通う病院は、
毎日通った父がいた病院。
必然的に父の姿や場面を想起する。
堪えられないこともあった。
きっと、
時の流れが、
癒してくれることになるだろう。
悲しみを味わい、
味わいつくし、
でも、
悲しみの中には入らないように、
前に、
前に、
進み、
生きる。
背負っているもの、
背負うことになるものや事象を愛し、
進む。
生きる。
空を見上げ、
微笑みと
ハミングと
チャーミングと手を繋ぎ、
弱い私は、
自問自答を続けながら。
ありがとうのかわりに、
父さん、
小さい頃から、
大好きでした。
0コメント