-なんだかわからないけれど。- 『カエルと王かん』
-なんだかわからないけれど。-
『カエルと王かん』
作家・中嶋 優季/絵・山田 真奈未 BL出版)
なんとも表紙の可愛らしさに惹かれ手に取った絵本。
軽快な展開のため、子ども大人もとても気楽に読み進めることができると感じた。
登場するカエルたちの行動の変容ぶりは単純で、純粋で、
生きているものの、性(さが)を表しているように思えた。
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『カエルと王かん』
ある日、カエルのピクトールは、森でぴかぴかと光る王冠を見つけた。
ピクトールは、王冠を頭の上にのせた。
水たまりにうつった自分をみてうっとりした。
なんだかとてもえらくなった気分。
あじさい池のほとりにもどったピクトール。
他の4匹のカエルたちに自慢した。
「どうだ。すごいだろう?おれはあじさい池の王様だ」
他の4匹はおもわずピクトールにお辞儀した。
王冠をかぶったピクトールの立派な姿を見ていたら、そうしなければいけない気がしたのだ。
なんだかわからないけれど。
ピクトールが石の上にふんぞり返って
「ぶどう酒をもってこい」という言うと、4匹は急いでもってきた。
「ミミズのフリッターが食べたいなあ」と言うと、4匹は「はい、ただいま」と言って、ミミズをつかまえてフリッターにした。
そして4匹はこう言った。「王さま、バンザイ!」
そうしなければいけない気がしたのだ。
なんだかわからないけれど。
次の日、今度はマルクスというカエルが王冠を見つけた。
「どうだ。すごいだろう?オレもあじさい池の王さまだ」
ビクトールとマルクス。王さまがふたりになった。
他の3匹は深々とお辞儀をした。
そうしなければいけない気がしたのだ。
なんだかわからないけれど。
マルクスが「オレにもぶどう酒とミミズのフリッターをもってこい」というと、
3匹は「はい、ただいま」といって言われたとおりにした。
次にビクトールが「王さまのマントをつくれ」というと、
すかさずマルクスも「オレにもマントをつくれ」と言った。
3匹は大急ぎでマントを作った。
王冠をかぶり、マントをつけた王さまたちはますます立派に見えた。
そして3匹はこう言った。「王さま、バンザイ!」
そうしなければいけない気がしたのだ。
なんだかわからないけれど。
次の日はマーガレットが池の女王さまになった。
王さまが3人になり、残りの2匹は大忙し。
「わたしにもぶどう酒とミミズの・・・・・」
「王さまのイスをつくれ」
「こおろぎフライをもってこい」
「はい、ただいま」
2匹はヘトヘトだ。
そのまた次の日、残りの2匹のカエルがそれぞれ王冠を見つけた。
とうとう、あじさい池の王さまと女王さまは5人になってしまった。
5人は石の上にふんぞり返って座った。
「おい、ぶどう酒とミミズの・・」
「いやよ、わたしは女王さまよ、あんたがもってきなさいよ」
「オレは王さまだぞ」
「オレだって」
「誰か私に素敵なマントを作ってよ」
もう、言うことを聞いてくれるカエルはいなくなった。
5人の王さまと女王さまがすることといったら、
石の上に座り、いばることだけだった。
深い深い紫色の夜がきても、
5人は相変わらず石の上でいばったまま。
とうとう、よるじゅう5人はいばりつづけた。
新しい朝の光が森の向こうから差し込んだ。
池はまるでダイヤの粒をしきつめたかのように美しく輝きだした。
カエルたちは石の上から立派な自分の姿を見ようと池を覗き込んだ。
けれど、強い光にはじかれて池には映らなかった。
5人は眩しそうに眼を細めると一斉に王冠をほうり投げた。
「ただのカエル、バンザイ!」
叫びながら池に飛び込んだ。
そうしたくなったのだ。
なんだかわからないけれど。
本当のことをいうと、5人は王さまと女王さまでいることに少し飽きていた。
家来がいないと何もすることのない王さまと女王さまでいるより、
カエルでいるほうがずっとずっと楽しいと思ったのだ。
5匹は気持ちよさそうに泳ぎながら歌った。
「王さまじゃなーい
女王さまじゃなーい
カエルはかえるー
カエルにかえるー」
同じころ、あじさい池のほとりを散歩しえいたカタツムリのムッシュ・エスカルゴは、
ぴかぴかと光る王冠を見つけた。
王冠を頭の上にのせ、池にうつる自分の姿を見てうっとり。
なんだかとってもえらくなった気分。
それから、全速力で仲間のところにむかった。
みんなに自慢するために・・・・・・。
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この物語を読んだら、誰もが思うだろう。
「ありのまんまの自分が一番。」
ちょっと違う自分でいるより、
なんでも好きなことができる、ただのカエルであることを喜ぶカエルたちの結末に、
のびのびと生きる「純粋な自分でいる」ことの素晴らしさを、
カエルたちの嬉しさと共に、より腑に落ちた。
ありのまんまでいいことを教えてくれたカエルたち。
この物語が教えてくれているのは、それだけではない別の側面もあると考えた。
カエルたちは教えてくれた。
人間の性(さが)・本質をついている。
軽快に、さらっと。
「なんだかわからないけれど。」
まるで自分が別人になったかのようになる。
「なにか」をみにつけることで・・自分への自信というものがわいてくる
「なにか」をみにつけることで・・他者に優越感というものがわいてくる
「なにか」をみにつけていると「見える」ことで・・尊敬や信頼感というものが生まれてくる
「なにか」をみにつけていると「見える」ことで・・服従や劣等感というものが生まれてくる
なんだかわからないけれど。
カエルたちは、「自分に」気づいた。
自分に還った。
同じころカタツムリは優越感に浸り、別の服従や劣等感を生もうとしていた。
生きているものの性。
あらゆるところでとめどなく優越・劣等感・妬みが広がる、世の中の性。
「なんだかわからないけれど。」
根拠のない〇〇というものを、有効に、そして、適切に。
王冠も何も身につけていない自分の姿も、池にうつしてこう言おう。
「なんだかわからないけれど、今の自分、いい」
「あなたもわたしも、みんな、今の自分、いい」
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